太宰治記念館 斜陽館は、青森県五所川原市にある小説家太宰治の生家です。

 太宰治記念館 斜陽館
 青森県五所川原市金木町朝日山412−1

 現在は、五所川原市太宰治記念館「斜陽館」として、五所川原市立の施設となっています。

 この建物は、明治の大地主で衆議院議員であった、津島源右衛門の手で建設された入母屋作りです。

 階下11室278坪、2階8室116坪、付属建物や泉水を配した庭園など合わせ宅地約680坪です。

 和洋折衷・入母屋造りの建物は、米蔵にいたるまで青森ひばが使用され、どっしりした重厚感が特徴です。

 1907年に、米蔵に至るまで日本三大美林のヒバを使い、当時のお金で工事費約4万円をかけて造られました。

 当時の4万円は、米の量でいえば7,000俵分にあたります。

 設計は津軽地域における西洋建築の名棟梁の堀江佐吉、大工棟梁は佐吉四男の斎藤伊三郎でした。

 この豪邸も戦後になって津島家が手放し、1950年から旅館「斜陽館」として旧金木町の観光名所となりました。

 しかし、1996年3月に旧金木町が買い取り、旅館「斜陽館」は46年の歴史に幕を降ろしました。

 2004年には、近代和風住宅の代表例として国の重要文化財に指定されました。

 太宰治は本名を津島修治といい、津島源右衛門の第10子・6男です。

 当時の津島家は、地元で有数の大地主で金貸業を営むほどでした。

 1946年11月に、太宰と家族は1年3カ月余りの故郷での疎開生活を終え帰京しました。

 帰京した太宰は、代表作となる『桜桃』『斜陽』『人間失格』を発表しました。

 以降、流行作家としての多忙な日々を送ることになりました。

 『斜陽』は、戦後の日本を舞台に、没落していく貴族の家族の姿を鮮やかに描いた小説です。

 恋と革命をテーマに、古い価値観に挑み新しい生き方を探る人物たちを描いています。

 太宰にとっての戦後は、3年というとても短いものでした。

 昭和23年6月13日に、玉川上水の流れの中に消えていきました。

 遺体が発見された6月19日は、桜桃忌と名づけられました。

 墓所のある禅林寺は、毎年多くの太宰ファンが参拝に訪れています。

 アクセスは、津軽鉄道線金木駅下車、徒歩約7分です。

 自動車なら、津軽自動車道五所川原北ICから約15分です。

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